「断頭台への行進」
アカリシア(acariciar)は、
とある花を原料にしてつくる幻覚剤の俗称です。
まだ2C-Bが規制を受けておらず、
カチノンが流行りだして間もないくらいの時代。
学生でも比較的簡単に様々なものが入手出来たころ、
インターネット上で購入できた、
非常に廉価な幻覚剤です。
私の友人にもひとり、この幻覚剤を多用していた人がいました。
幻覚剤、というカテゴリが示す通り、
アカリシアは摂取によって生じる幻覚と、
それによる心的な覚醒、および多幸感を得る目的で用いられます。
種の入手に少々の手間はかかりますが、
材料さえ揃えば自宅での精製も可能だったため、
一部のコミュニティでは手軽に使用できる
幻覚剤のひとつとして流行していました。
●アカリシアの精製方法(着色は筆者による)
再穴(※1)総合スレまとめwikiより一部加筆・修正して転載。
※1「サイケ・アナログ」を指すネットスラング
なお、以下の「赤」は「アカリシア」を指す隠語である。
また、転載時に意図的な編集を加えているため、
本手順を再現しても幻覚剤を得ることはできない。
1 赤の種子(一度のトリップに大体30gくらい必要)をミルで細かく挽いて粉状にする。
無心でやれ。ここを適当にやると飛びに影響するんでマンドクセとか思わず丁寧にやれ。
2 石油エーテル(なければガソリンでも可)に浸す。長めに楽しみたいからって長時間浸しても変わらんから2日もすれば引き上げてよし。
3 二重にしたコーヒーフィルターで濾す。
4 フィルターの中身を取り出して乾燥させる。
5 乾燥させた種子を灯油(なければライターオイルでも可)に2日浸す。
6 二重にしたコーヒーフィルターで濾す。
7 フィルターの中身を取り出して乾燥させる。
8 乾燥させた種子をメチルアルコール(なければ消毒液でも可)に2日浸す。
このとき、種子には欠かすことなく音楽を聴かせること。
聴かせる音楽は好みで良いけど、何を聴かせるかで効果が変わるから注意。
詳しくはテンプレ嫁。
9 8で浸した液を火にかけて蒸発させる。
10 蒸発させていくと鍋とかスプーンの底にピンク色の粒々が残る。
11 カプセルに入れるなりオブラートに包むなりして飲む。
精製には様々な方法が用いられていましたが、
前掲のものが最もポピュラーな手順として知られていました。
これを読んだ方は恐らく、いくつかの違和感を覚えたことでしょう。
ひとつめは、その精製方法の劣悪さ、杜撰さです。
もちろん、一個人が植物などから幻覚剤に相当するものを自作する場合、
どうしても装置や環境は劣悪になりがちです。
しかし、ここで語られている手順は、輪をかけて粗雑なものでした。
石油エーテルをガソリンで代用する、
灯油をライターオイルで代用する、
メチルアルコールを消毒液(エチルアルコール)で代用するなど、
人体にきわめて有害な方法を提示しています。
廉価な幻覚剤や合成麻薬には珍しくない話ではありますが、
そうであるからこそ、アカリシアは非常に危険な幻覚剤であったといえるでしょう。
ふたつめは、手順の一部に含まれる、不可解な工程です。
8番目の手順に書かれている、この文章。
このとき、種子には欠かすことなく音楽を聴かせること。
聴かせる音楽は好みで良いけど、何を聴かせるかで効果が変わるから注意。
十数年前に話題になった、とある実験をご存じでしょうか。
生育中のアサガオなどの花にクラシックを聴かせると、
その花はすくすくと美しく育ち、
ハードロックなどを聴かせると、
その花はスピーカーから遠ざかるように育ち、
かつ控えめな根の張り方をするという実験。
或いは、「ありがとう」の文字を見せてつくった氷(水の結晶)は、
「ばか」の文字を見せたそれよりも美しい模様を呈するという実験。
都市伝説レベルで囁かれていたこれらの「学説」にも似た工程が、
この幻覚剤の精製においても用いられていたのです。
アカリシアの精製は、インターネット上で
独自に発展・先鋭化した手法を内包するものでした。
そのため、例えば「金縛りスレ」「リダンツ(幽体離脱)スレ」のように、
科学的な効果を立証できていない独自研究が
そのまま定着することはよくある話です。
いわゆるプラセボ効果や、そもそもの幻覚剤の粗悪で過激な効用も、
その先鋭化に一役買っていたことでしょう。
しかし、ただのプラセボ効果として片付けるには、
アカリシアの効果はあまりにも異様でした。
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●アカリシアの精製過程で聴かせる音楽と、見える幻覚の関係
再穴総合スレまとめwikiより一部加筆・修正して転載。
なお、本スレでも「効用にはばらつきがある」との註釈が加えられていた。
音楽ジャンル: アンビエント
具体的な楽曲指定: なし
幻覚: 綺麗な森林を歩く(75%)、空を飛ぶ(25%)
備考: 安定感、気持ちよさ、離脱症状の少なさ、音源入手の手軽さ、
いずれも隙がない 初心者はとりあえずこれから始めとけ
音楽ジャンル: EDM
具体的な楽曲指定: なし
幻覚: きらきらとした極彩色の光が見える(50%)、深海に沈んでいく(50%)
備考: アッパーかダウナーにはっきりと分かれる
音楽ジャンル: ジャズ
具体的な楽曲指定: なし
幻覚: 泉に浮かぶボートに乗っている(80%)、その他(20%)
備考: まったりと長時間楽しみたいときにおすすめ
音楽ジャンル: ロック
具体的な楽曲指定: なし
幻覚: ジャンルによって幻覚が変わるという説あり
虹色の液体に沈んでいく(サイケデリックロック)、
街を破壊する、モンスターを倒す、全能感(パンクロック)
備考: 幅が広いので最初は面倒だが、
自分に合ったフレーバーを見つければ楽しい
音楽ジャンル: 雅楽
具体的な楽曲指定: 「鶴の巣籠」
幻覚: 動物(必ずしも鳥類に限らない)と戯れる(100%)
備考: その人にとって安心感を覚える何らかの動物が出てくる
音楽ジャンル: ノイズミュージック
具体的な楽曲指定: なし
幻覚: 水の中をぷかぷかと浮かぶ(60%)、家族と遊んでいる(40%)
備考: 後者のとき、多くの場合でその人は本当の家族ではないが、
トリップ中はその人を「家族」として認識して疑わない
音楽ジャンル: オリジナル
具体的な楽曲指定: 「CosmoPulse ver.5」
幻覚: 宇宙との一体化(80%)、意識の拡散(20%)
備考: 「ver.4」よりも離脱が少なく、深度と効果時間がアップ
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歌詞が入ると「雑味」が増えるので良くないとされており、
彼らは往々にして歌詞のない音楽を触媒に使用していました。
最初のほうは、既存の音源を使い、
トリップの違いを試していた彼らでしたが、
自らの求める体験に最適化された音源を、
自作するようになっていきました。
上記ジャンルの「オリジナル」というのは、
このトリップのために制作された自作音源を指します。
彼らは独自の「改良」を続け、より純度の高い快体験を求めたのです。
アカリシアの需要は日に日に高まっていき、
求められる幻覚も先鋭化していきました。
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音楽ジャンル: オリジナル
具体的な楽曲指定: 「Supplice ver.3」
幻覚: 壮大な行進曲に合わせ、街を歩く。
街路はたくさんの群衆でごった返し、歩く自分を笑顔で見つめている(100%)
備考: ver.2の続きを精製することに成功
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このあたりになると、アカリシア──
ガソリンや消毒剤を身体に取り入れる安物の幻覚剤の度重なる濫用により、
身体や精神に異常を呈する人も続出しました。
しかし彼らは、自らの四肢が黒ずみ、
内臓がぼろぼろに壊れてもなお、
その先にある幻覚体験を求め続けたのだそうです。
それは、地獄のような離脱症状から逃避するためだけではなく、
もっと何かを超越したような感情のもとでの行動であるようにも思えました。
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音楽ジャンル: オリジナル
具体的な楽曲指定: 「Supplice ver.24」
幻覚: 群衆に見守られながら街を歩いている最中、
自分は愛する人を殺した罪で死刑になったことを思い出す(100%)
備考: ver.23の続きを精製することに成功
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このころになると、あまりにも先鋭化が進んだコミュニティを周囲が不気味がり、
そして幻覚剤の取り締まり自体も厳しくなったことに伴って、
アカリシアの常習者たちは当時のドラッグ掲示板からも
追い出されるようになっていきました。
彼らは、それでも場末のネット掲示板を転々とし、
各々が精製した種子を交換する「オフ会」を行いながら、
知見の蓄積を行っていたのだそうです。
先述の友人もその一人でした。
「オリジナル」音源のバージョンは、
人気なものではいつしかver.100を超え、
得られるトリップ体験もずっと強く、
危険なものになっていたといいます。
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音楽ジャンル: オリジナル
具体的な楽曲指定: 「Supplice ver.75」
幻覚: 行進曲が響く街路の先に、大きなギロチンが見える。
備考: ver.74の続きを精製することに成功
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私はそのころ、友人に尋ねました。
そんなに大量に購入していては、
アカリシアの種などいくらあっても足りないのではないかと。
種を加工してカプセルで固める、それを繰り返す。
そんな作業工程を必要とするのであれば、
何百粒、何千粒という種子がトライアンドエラーに消えていくことになるはずです。
まして、アカリシアはその廉価さで有名な種でした。
たとえばいくつかの薬物がそうなったように、
「乱獲」によって値段が上がったり、入手が困難になったりはしないのかと、
私は友人に聞いてみたのです。
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音楽ジャンル: オリジナル
具体的な楽曲指定: 「Supplice ver.110」
幻覚: 自分は、笑顔の群衆が、自らの斬首を心待ちにしていたのだと気付く。
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友人は黄ばんだ眼を絶えず動かしながら、
呂律の回らない舌で、だいたい以下のようなことを言いました。
それに関しては心配ない。
アカリシアの種子は非常に大量に生産されるし、
需要と供給のバランスも安定しているから。
そうは言っても、と私が反駁するのを予期していたかのように、
友人は話を続けます。
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俺も、最初は思った。
これでは、種なんていくらあっても足りない。
いつかバイヤーがいなくなってしまうんじゃないか。
そもそも、この種はどんな風に採取するんだ、そういう風に。
でも、ある時を境に、
そんな心配をしなくなったんだ。
俺には、俺よりもアカリシア狂いの、
2歳くらい年上の先輩がいた。
元々借りた金で紙を食うようなやつだったから、
俺がパソコンを見せながら軽く紹介すると、
すぐにずぶずぶとハマっていった。
先輩はどんどん精神も、そして身体もおかしくなっていった。
腹にはびっしりと小豆のような発疹ができて、
絶えず嘔吐くような咳を繰り返して、
なぜか手足は子供のように瘦せ衰えていって、
暫くしてから音信不通になった。
碌に家も出ずにアカリシアばかりしてるから
体調がおかしくもなるだろう、くらいに思っていたが。
それだけが理由ではないことには後になって気が付いた。
ある深夜、2カ月ぶりに、先輩から電話がかかってきた。
「あんか あらが はえていえる」
「あんか あなが あえてってう」
先輩は恐らく同じことばを繰り返してて、
でも明らかに声の様子がおかしくて、
何を言っているのかもよく分からなかったから、
とりあえず俺は昔よく行っていた先輩のアパートにバイクを走らせた。
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幻覚: ギロチンの刃の下に、自らの首が固定される。
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ぐちゃぐちゃの部屋の、
ベッドの上には、変わり果てた先輩が寝そべっていて。
「あんか はなあ あえっちえる」
短パンとタンクトップを着た先輩の、
顔も腕も脚も首もとにかくすべての皮膚に、
ぎっちりと隙間なく黒い点ができていた。
そこで気付いた。
先輩が僕を見上げて、なぜか嬉しそうに繰り返している言葉。
なんか、花が、生えてきてる。
かつて発疹のように浮き上がり、
いま彼の皮膚を覆い尽くしているものが、
あのアカリシアの「種」であることを、
直感的に自分は理解した。
例えば苺の表面にびっしりと白い種が並んでいるように、
彼の全身には黒く小さな種が這いまわっていたのである。
彼の、ほぼ木の枝のような右腕の近くには、
さっきまで電話がかかってきていた携帯電話があって。
先輩はきっと、自分にこの「末路」を見てもらいたかったんだろうと思った。
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幻覚: ギロチンの刃が今まさにゆっくりと上がっているのが、
目を輝かせて自分を見る群衆の視線でわかる。
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「あんか、あなが、あ、 あ あ」───
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幻覚: ギロチンの刃が上がっていく。
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先輩は、少しだけ喉を鳴らすと、
つっかえるような、嘔吐くような咳をして。
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幻覚: ギロチンの刃が上がっていく。
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ひときわ大きな3回目の咳と一緒に。
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幻覚: ギロチンの刃が上がっていく。
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その口から、大量の種子を吐き出した。
それこそたくさんの小豆を転がすような、
ざらざらとした音とともに、
夥しい量の黒い種がフローリングに広がって。
まるで、斬首体から出る血液みたいだと思った。
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なるほど。
確かに、これだけあればアカリシアは安く売れるし、
常習者から定期的に「花」が咲いて、割れたところから種が出るから、
需要と供給のバランスも安定するんだ。
友人は、そう思ったのだといいます。
ちなみに、先輩から生まれたアカリシアの種子は、
よりクリアで揺らぎのない幻覚を見られるため、
比較的人気だそうです。