この話の舞台は、とある動画サイトです。
その当時、インターネット上の掲示板で執筆されたさまざまな怪談を
合成音声で朗読させる、いわゆる「朗読動画」が流行っていました。
ネット上の怪談の中でも特にクオリティが高いもの、
俗に「殿堂入り」と言われるそれらを朗読する動画は特に人気で、
ある怪談の名前で検索すると、それを合成音声で朗読させる動画が
数百件とヒットする場合もありました。
このように、匿名掲示板にあった怪談が時代を経るごとに有名になり、
いわゆる「まとめ民」や「動画勢」を引き付けていった時代。
これも、そのころの話だと思ってください。
私もそういった動画をよく閲覧しており、
大体の有名どころは既に聞き終わっていました。
そのため、一人暮らしである程度自由な時間を取れるようになったころには──
検索結果の下層にある動画を漁り、
滅多にセレクトされないマイナーなネット怪談の朗読を
好んで視聴するようになっていました。
再生数数百回から数千回程度の、出典元すら判然としないような朗読動画です。
その段階になると、朗読動画にもいくつかの型──
格式ばった言い方をすれば「作家性」を、
見出すことが出来るようになります。
どの効果音配布サイトを使っているか。
どの音声ソフトでどんな声を出力しているか。
どの掲示板からどんな怪談を引用しているか。
それらは往々にして動画制作者の好みや技量に委ねられており、
「この人が出す朗読動画だから見る」という価値基準も存在していました。
不穏なピアノによるタイトルコールとともに十五分ほど怪談を朗読し、
根強い人気とトップクラスの再生数を誇った投稿者。
独自のオリジナルキャラクターをストーリーテラーとして、
小粒でもやもやとする掌編怪談をもっちりと朗読した投稿者。
自分が撮影したという不気味な廃墟の画像とともに、
当時にしては珍しく肉声で怪体験を語っていた投稿者。
淑女のように穏やかで丁寧な語りによって、
非常にクオリティの高いオリジナルの噂話を朗読した投稿者。
そうして投稿された様々な朗読動画は、
音声ソフトの関係上声色を大きく変えるのが難しいこともあり、
映像や読み上げ音声以外の効果音を付加する方向で、
演出方法の独自進化を齎しました。
或るとき私が、様々な動画リンクやリストを経由して閲覧したその動画も、
そうした独自性を持ったものだと思っていたのです。
それは「ゆっくりときいてください」という導入から始まり、
短い怪談を朗読するという内容の、よくある動画でした。
さすがに全文は覚えていませんが、それほど長くない内容だったので、
全体の構成と一部の言葉に関しては今でも覚えています。
それは私も慣れ親しんでいた合成音声を用い、
怖い体験をですます調の話し言葉で伝えるものでした。
内容はよくある実話系の体験談で、深夜ラジオを聞いているときに
全く知らない音声が入り込んだ、という内容です。
怪談の進行に合わせ、当時よく使われていた効果音素材サイトのSEが挿入され、
ある種の臨場感をもって朗読は進んでいきました。
お風呂上りの主人公が、部屋のドアを開ける音。
椅子に座ってイヤホンをした主人公が、ラジカセのスイッチを入れる音。
当時の素材サイトによって品質はばらばらだったため、
くぐもっていたり音が詰まった感じがしたり、
所々でSEの音質には違いがありましたが、
それは今に始まったことではありません。
語られる怪談によれば、主人公は一人暮らしであり、
深夜にイヤホンをして音声を聞いていました。
そんなとき、聞いていたラジオ番組とは明らかに違う効果音が、
所々で重なるように入ってきたのだそうです。
何も番組の内容とは関係のない、
ぼわぼわと囁くような音が重なり、
それを意に介さないかのように番組は進行する。
最初はラジオの混線だろうと聞き流していた主人公が、
その違和感に気付き始めたあたりで。
私が見ている朗読動画それ自体に、
奇妙な音が重なっていることに気付きました。
それまではフリー音源サイトの質の問題で、
あまり音質の良くない効果音が混ざっているんだと、
私は思っていたのですが。
それでは説明が出来ないほど異様で、
そして入れる意味もないほど小さな声が、
動画の所々で重なっているのです。
「──よ」
くぐもって聞こえる、あまり音質の良くない音。
それが何を言っているのかはその時点で判断できませんでしたが、
その音に傾聴したことで、あることに気付きました。
「──すよ」
明らかにそれは、イヤホン越しに聞こえてきていたのです。
音質が悪いからではなく、
イヤホンの向こう側から聞こえていたため、
動画の音に重なって、かすかに私の耳に届いていたのでした。
「──いますよ」
最初に言った通り、私は一人暮らしです。
ひとりで音声を聞いている私のイヤホンの向こうで、
誰かの声が聞こえ続けていました。
それに気付いた私が、動画の途中で耳からイヤホンを剥ぎ取ろうとしたその時。
先ほどまで怪談朗読動画を流していた音声が突然に変わって。
「いいんですか」
動画内の合成音声がそんなことを言ったあとで。
イヤホンの外で聞こえる音声と一言一句同じ言葉を、
重ねるように発しました。
つまりイヤホンの内と外から、同じ言葉が聞こえたのです。
「はずしたら聞こえちゃいますよ」
唖然とした私が再生画面を見ると。
朗読動画の再生はとっくに終了していました。
あの声が聞こえる前にはすでに、動画の再生自体が終了していたのです。
その日以降、私にはたまに変な音が聞こえることがあります。
ひとりでパソコンを動かしているときや、夜に駅を歩いているときなど。
イヤホンで音楽を聴いているときなどには気付かないのですが、
ふとイヤホンを外したときに一瞬だけ、
不意に、
思いがけず、
突然に、
何かを囁くような、言葉になっていない音のような、
かすかな声が聞こえることがあります。
それ以降、私が思うことがあります。
あのときに聞いた「外したら聞こえちゃいますよ」という表現は、
あのときイヤホンを外したら聞こえていたかもしれない、
別の声を抑制していたのではないかと。
ちなみに現時点で、
あの日に聞いた元の動画を見つけることはできていません。
色々な言葉で検索をかけたり、
それらしいジャンルの動画を出来る限り調べてはいるのですが。
ひとつの怪談の朗読だけでも
数百の動画がヒットするほどに流行していたのに、
題名すらわからず、再生数も少ない動画を探すのは非常に困難です。
そもそも削除されず存在しているかどうかも危ういです。
また、あまり調べない方がいいのかもしれない、という思いもあるのです。
検索の過程で、どうしても動画の冒頭のあの発言が気になり、
「ゆくりときいてください」という言葉について考えていたことがありました。
音声読み上げソフトの都合上、
そういう発音になってしまうものなのかもしれない、とも思ったのですが。
「ゆっくりと」ではなく「ゆくりと」という言葉であった場合、
それは「のんびりと」といった意味ではないらしいのです。
「ゆくり」という言葉は、
不意に、思いがけず、突然に、という意味で使われるそうで。
もし、仮に、そちらの意味で発された言葉だったとして。
あの日に私はいったい何を見聞きしてしまったのか。
もし、仮に、あの効果音や音声が、
何者かの「作家性」によるものだったとして、
その人は何を思ってあの動画を作成し投稿したのか。
知りたい気持ちと知りたくない気持ちが、私の中でまざりあっています。